協会代表しぎはらひろ子紹介

協会代表紹介しぎはらひろ子について

協会代表プロフィール

東京都大田区出身
神奈川県立神奈川工業高校産業デザイン科卒業。
デザイン界の名門神奈川県立工業産業デザイン科卒。

松下通信工業、研究開発部入社。
デザインと機能の整合性などプロジェクトに就く。
その後、メディア&デザインのプロを養成するバンタンデザイングループ・アパレル業界トップコンサルティングファームを経て、1983年ミストグレイ設立。無名のシューズブランドをわずか5年で11億〜35億にし、「Cancam」初め女性誌で大人気のシューズブランド「JELLY BEANS(2007年2月・ヘラクレスに上場)」を育て、業界の注目を浴びる。
ファッション業界を中心に、多数のブランドプロデュースを手がける。

また、従来の販売・接客マニュアルに売り上げの限界を感じ、
ファッションに関わる人材の育成・教育に着手し
【顧客と瞬時に良好なコミュニケーション=服飾戦略】を開発し、プロの服飾指導を行う。
これにより、販売員だけでなく、営業・MD・経営陣の意識改革を成功させた。

その実績を買われ、近年は JR東日本・業界NO1通販企業等で、
MD・デザイナー・営業・販売職の人材育成も手がける。
セミナー講師やスクール立ち上げ〜運営等でも、幅広く活躍中。

テレビ・雑誌・メディア出演・講演・セミナーなどでは
ファッション界のカリスマ・服飾専門家・見た目のエキスパートとして活躍。

協会代表メッセージ

感謝・寛容・慈愛を抱き、人として美しく

皆様、はじめまして。
「しぎはらひろこ」と申します。

幼少の頃から、「綺麗なモノ」が大好きでした。
朝露に光る、ダイヤのように輝く水滴・雪の結晶・太陽光に宿る光のプリズム・・・
オウムガイの断面の完璧な螺旋・真珠の持つ何千色もの色・・・・

大自然の織り成す「壮大な芸術」は、いまだに見飽きる事がありません。お絵描き・塗り絵・お人形さんの洋服作り・・・子供の頃の夢は『綺麗なモノを作り出すお仕事』でした。

中学生の時、まだ、日本にデザインという概念が育つ前から、「工芸図案科」として、多くのデザイナーを輩出してきた、歴史ある「県立神奈川高校・産業デザイン科」の存在を知り、デザイナーを目指し、進学致しました。

日本のデザイン史に新風を送り込んだ、多くの実績ある先輩方の学ばれた学び舎で、多くのことを、学べた事、時を経て尚、親交のあるデザイナー仲間に出会えた事を幸せに思っています。

好きな事だから、努力を『探究心』と捉え、夢中で、仕事をした20代

デザイナーの見習い業務の一日はかなりハードです。

布地のストックルームから、先輩の指示にしたがって、重い反物を一日に何度も運んだり、素材に合わせて、リボンや、ボタンを染めたり、肉体労働でした。

仕事が終わると、デザイナー仲間と、原宿や、六本木に繰り出し、クラブなどで、ファッションチェック!

そんな中、一足先に帰宅し、自宅でひたすらデザイン画を書いていました。

おかげさまで、24歳の時に異例の速さで、自身のブランドを持つことが出来ました。
が、思うように売れなくて、「ブランドを成長させる事」の厳しさを身を持って体験しました。
この苦い経験が、後に、どれほど役に立ったかは、言うまでもありません。

26歳の時に、青山に「古着とアンティーク」のお店をオープンしました。

3ヵ月に一度、『イギリス」に買い付けに出かけていました。
デザイナーの仕事を続けながらではありましたが、急がしく、楽しい毎日でした。

洋服の歴史の深いイギリスで、アンティークのドレスや、仕立ての美しいメンズ服・本物のビクトリアンアクセサリーに触れる事は、美意識を磨く為に、とてもよい勉強になりました。

このとき扱っていたイギリス製のドレスが好評で、アンアン等の雑誌にご紹介いただいたり、友人の結婚式用に、とても喜ばれました。

出産・仕事・子育て、忙しくても、楽しかった、30代

30歳を目前に、「ミストグレイファッションプランニング」として独立しました。
おかげさまで、一千万円の売り上げスタートでの、順調な立ち上がりでした。
クライアントも一部上場を中心に、デザイン〜MD〜戦略へと、仕事の幅も広がりました。

32歳の時に、娘を出産しました。
妊娠中に大きなプロジェクトを抱えていた為、7ヶ月目の出張時に、「逆子」になってしまい、帝王出産を余儀なくされました。
が、妊娠中の徹底した、自然食のおかげで、母子共にとっても丈夫でした。

仕事を止め、子育てに専念してくれた主人のお陰で、出産2ヵ月後に仕事復帰致しました。
子育てと仕事の両立は、大変な面もありますが、子供の可愛さを前にすると、全ては、小さな悩みに思えてしまいます。

35歳の時、山手の自宅を総リフォームしました。
この時は、デザイン・図面・資材手配をミストグレイ、施工を工務店様に、お願いしました。

新聞に掲載された事で、リフォームデザインのお仕事依頼がありましたが、友人宅に限ってお受けしています。

娘の涙・母の認知症。仕事再開!

娘が、小学校に入学して間もないある日、仕事で夜遅く帰宅した私に、『ふつうのお母さんがいい』と言って、大粒の涙をポロリ。

その一言は、母親である私の心深くにグサリと突き刺さりました。
『一番大切な娘にとって、世界でたった一人の母である自分。今娘が一番必要としてるのは(ふつうの母親)!』

この事がきっかけで、これまでの仕事中心の生活を一変し、家庭に入りました。
初めての専業主婦体験。

はじめは戸惑う事ばかりでしたが、ご近所のママ仲間も出来ました。
娘の「ジェニーちゃん」のお洋服を、立体裁断でつくり、夢中になりすぎ、「もうつくらなくていいから・・」と、娘にあきれられたりしながらも、専業主婦の楽しさも、知る事が出来ました。

この時期、実母が認知症を発祥し、介護も大変でしたが、大人になってから、母と二人でゆったりと過ごす事の出来た豊かな時間でした。

大切な家族と、ゆっくりと向き合う事で、仕事をしているときには気づかなかった、多くのこと学べた気がしています。
有料老人ホームにお世話になる事で、心と身体に少し、ゆとりも出来ました。

また、娘の小学生時代には、近所のママたちと子供達で「アラスカ」にオーロラを見に行ったり、「バリ」のプール付きヴィラに滞在したりと、いろいろなところへ遊びに出かけました。

5年生になり、「お仕事したいんでしょ。デザイナーに戻ってがんばってね!」と言ってくれた娘の一言をきっかけに、再び本格的に、仕事を開始しました。

自分の人生のフルコースを楽しく味わう

社会人になってから、初めて経験した、仕事をしなかった5年間。
娘とのたくさん思い出と、家族との豊かで、濃密な時間は、人としてバランスよく成長する為の、神様からのプレゼントだったような気がしています。

「専業主婦としての毎日」・「仕事との両立」。

そのどちらにも、大変な部分も、楽しい部分もあります。
人生の流れの中で、時々に応じ、「たくさんの選択肢を、人生のフルコースとして、楽しく・おいしく、味わう事」が出来るのも「女性ならではの幸せ」だと思っています。

たくさんの事を経験し、感じ、学んだ事を、仕事の中に、きめ細かに丁寧に、織り込んで行くが出来るのも、 女性ならではの、特権だと思っています。 これまでの人生を通じて学んだ、多くのことを、仕事の中に反映していきたいと、思っています。

そして、たくさんの女性たちが「自分の人生のフルコース」を、慈しみ、味わうお手伝いが出来たらと、心から、 願っています。
これから出会う皆様と、素晴らしいご縁ができますように。 どうぞ、よろしくお願い致します。